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奥様の若女将 遠藤央子さんと

​看板猫 かぐらさん

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遠藤 友紀雄

Yukio Endou

​湯滝の宿 西屋

山形県米沢市出身。高校卒業後、大学に進学。山形市で就職後、26歳の時に帰郷。創業1312(正和元)年の湯滝の宿 西屋 19代目。天元台×白布リボーン協議会では会長を務め、個性豊かなメンバーの力が発揮できるよう見守りながら、プロジェクトを進めている。

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命を体感する白布の自然

 遠藤友紀雄少年が、渓流釣りをする父の後を追い、白布の沢で見つけたのは、緑の中でひっそりと生きる、小さな蟹でした。「ここは山。海ではないこの場所に蟹がいるなんてびっくりしましたね。数年前、沢の周辺で工事があった際、西屋の駐車場に数匹逃げてきていて。あぁ、沢蟹が暮らせる自然がまだある、って懐かしく思い出したんです」。白布の豊かな自然が自慢だという遠藤さん。中でも宿から1kmほど離れた、源泉の割水や防火用水として使用する水の取水口付近がお気に入りで、気持ちを落ち着かせたい時には、その風景を思い浮かべるそう。「全てを受け止めてくれるような、優しさが漂っていて。最も山の命を感じられる雄大な場所なんです」。厳しかった白布の冬も終わり、これから緑の季節がやってきます。「5月の連休が終われば、山々は朝目が覚めるたびに木々の葉を茂らせ、みるみる大きくなっていくのが分かりますよ。白布は四季がはっきりとしていて、生き物、自然、地球そのものが活き活きと命を繋ぐ様子が体感できるのが素晴らしいです」。

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音楽が好き。
次なる音を待ちわびて

 近所には年齢の近い子どもがおらず、テレビを見たり、ラジオを聴くのが趣味だったという遠藤さん。年の離れたいとこに譲ってもらったレコードに夢中に。いつしかクラシックギターを奏でるようになり、高校生では友人とバンドを組んでボーカルとギターを担当。文化祭ではサイモンとガーファンクルのカバー曲を披露したそうです。大人になり西屋を営む傍ら、バンドに加わり活躍。その後も喫茶店で単独コンサートを開催するなど、いつも軸には音楽がありました。「私自身の活動は年々少なくなったのですが、やっぱり音楽は好き。家族にうるさいと言われながら、寝る前にこっそりギターに触れたり。面白いことに音楽をやめないでいると、繋がりは広がるんですよね。仲良くなったプロのミュージシャンを宿に招き、小規模なコンサートの企画もしました。告知はしませんから、偶然宿泊されたお客様は驚かれます」。歴史ある宿に響き渡る生の音楽に、皆さんうっとり。新型コロナウィルスが収束し、再びお客様と共に音楽を堪能できる日を楽しみにされていました。

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目指すのは「笑顔」。
子どもたちの未来を明るいものに

 昭和36年に米沢と福島を結ぶ西吾妻スカイバレーが開通し、昭和38年に天元台スキー場がオープンしました。白布を観光の拠点にしようと、国民宿舎やユースホステル、植物園や温水プールがあったことも。「夏は登山、冬はスキー、たくさんの人で賑わっていた時代がありましたね。今では交通の便が良くなったことで、日帰りでいらっしゃるお客様もおります。でももっと皆さんに白布の環境を知って楽しんでほしいのです。そのためにも昔は良かっただけではなくて、天元台×白布リボーンプロジェクトによって地域の実力、旅館の実力を磨き、子どもたちの未来を明るいものにしていきたいと思うのです」。コロナ禍でお客様との非接触が求められる時代、それでもより満足のいく旅をしていただきたいと、おしゃべりには方言を加えたり、宿泊スタイルや食事の内容、情報提供などを遠藤さんは日々工夫をしているそうです。

 朝、西屋では看板猫のおんでん、かぐら兄弟がお客様をお見送りしていました。2匹の愛らしさと、ファンにはたまらない猫をイメージしたオリジナルのお土産も人気です。「白布や宿の歴史・文化を引き継ぎながら、お客様、そして家族、地域を笑顔にする取り組みをしていきたいです」。

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4月に降った雪 書いてあるのは

​標高1126(いいふろ)m

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安部 直人

Naoto Abe

新高湯温泉 吾妻屋旅館

山形県米沢市生まれ。創業1902(明治32)年の新高湯温泉 吾妻屋旅館6代目。想像力豊かで、天元台×白布リボーン協議会のメンバーを盛り上げるムードメーカー。「温泉米沢八湯会」「関生産森林組合」でも活躍中。

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エンタープライズ号で
美しき白布高湯の宇宙へ

 湯元駅へお客様をお迎えに来たのは、新高湯温泉 吾妻屋旅館の安部直人さんと、送迎車、通称〝エンタープライズ号″。これから大自然が織りなす非日常の世界へと誘う。「送迎車に表示はされていないのですが、アメリカのSFドラマ スタートレックシリーズに出てくる宇宙船の名前を付けています。スタートレックは1966年の放送以来、ドラマや映画、アニメなど様々にシリーズ展開されている作品で、宇宙船や宇宙ステーションを舞台に、家族愛や友情、未知の生命体や文明との交流が描かれています。国や人種に関わらず人類が一致団結し、異星人と平和的に共存していく様子が面白くて。なかなか知っている方はいませんが、楽しい話題の一つにも。初めて訪れるお客様も、再び訪れてくださったお客様にも、白布で素敵なひと時を過ごしていただきたいです」。スタートレックシリーズ鑑賞が趣味という安部さん。実は白布高湯で過ごす時間は、物語に通じるところがあるのだそうです。「当館は山奥に位置し、一般的に考えると不便な場所にあります。近くにコンビニもラーメン屋さんもありません。まるで、宇宙船の中にいるような。それでも、ゆっくりと温泉に入り自然を感じていると、家族や友人・仲間と普段なかなかできない会話や想いが共有できたり、一人旅の方はじっくり自分を見つめることができたり。お子さんもゲームや遊具ではない、様々な遊びを想像していますね。皆さん気持ちを新たに笑顔でお帰りになります」。日常とかけ離れた白布の湯は、じんわり人々の心を包み、温めているようでした。

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見て、聞いて、体感

湧き出す温泉の恵

 「自宅に温泉がない?」「お風呂は沸かすもの?」これは小学生になって初めて気が付く温泉息子あるあるとのこと。コロナ禍では、源泉の価値を改めて感じたそうです。「吾妻屋旅館は100%源泉かけ流しなんです。宿から150メートルほど離れた山手から自噴していて、約50度の源泉を季節や気候の変化に合わせて湯量を調整し、湯船の温度管理をしています。お客様がより快適に入っていただけるよう、特に気を使っています」。また安部さんは、湧き出す豊富な源泉の魅力をビジュアルから感じてほしいと、湯船への注ぎ口を改良。見た目や音にもこだわり、スロー動画など工夫しながら撮影し、SNSで発信しました。「当館のお風呂は冷めにくく、湯冷めしにくい特徴があります。露天風呂では四季折々の風景が魅力で、外気が氷点下になる雪見風呂も人気です」。

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心安らぎ、背中を押す

「基地」の存在

 「宿は旅人にとっての基地、ベースなんです」安部さんは吾妻屋旅館を常連のお客さまが人生のサイクルの一部として捉え、何度も訪れてくれることに喜びを感じているそうです。そして今、天元台×白布リボーン協議会が立ち上がり、事務局である基地ができたことにも期待を膨らませています。「セミナーを開いたり、いろいろな状況を乗り超えるために常に学んでいます。この先もずっと学び続けなければいけません。共通の目的を持った仲間がいて、活動ができる基地の存在は大きいです」。今後協議会では様々な事業を展開していきます。「手つかずの自然とほったらかしの自然は違います。昭和50年代の植樹ブームで植えられた杉の木が、燃料として薪が用いられなくなったことや、安価な輸入材の流通によって伐りだされなくなり、大きく成長。地域は日影が多くなり、白布渓谷や白布大滝の景観も分かりずらい状況になっています。目指すのは〝大正の白布温泉″に描かれたような、穏やかな白布の姿。ドローンを飛ばして、まずはみんなで共通認識を。そして木々の伐採と景観の向上、遊歩道の整備。長い視点で考え本来の姿に戻しながら、維持し続けられるような文化を創ろうと計画しています」。今後白布がどのように変化をしていくのか、目が離せません。

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天元台高原で始まった「eMTB体験」高原を走ってみませんか?

山形県米沢市出身。高校生の頃小野川温泉内にある旅館でアルバイト経験、サービス業の楽しさに気づく。卒業後「天元台高原」に就職。現在常務取締役を務める。趣味は孫を眺めることと、ビールをおいしく飲むためのバドミントン。「天元台の太田さん」という愛称で親しまれている。

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太田 幸男
Sachio Oota
株式会社 天元台

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「空気の温度や質感が変化する、特別な場所があるんです。」

新たなことを成し遂げる仲間とこれからの未来に期待

 健康診断の結果で血圧の高さに指摘をうけた、太田幸男さん。担当医の見解によれば、天元台高原の気圧が関係しているのではとのこと。「長年標高1300mの場所にいますから。市内に降りたらそうなりますよね。今じゃ上にいる方が安心します」と笑いました。昭和63年に宿泊施設アルブ天元台が建設され、その翌年に就職したという太田さん。スキーシーズンが終わると、先輩に連れられ県外の学校や施設に訪問し、冬季利用の団体誘致をしていたそうです。「雪の量が多く質も良い。冬、11月頃から5月の連休まで、間違いなくスキーが滑れるのが強味でした。しかし近年では、12月にやっと雪が降るという感じです。強風の日にはロープウエイを運転できないことも。暖冬なんですかね」。日本のスキー技術指導の先進地としても知られる一方、様々なスキー大会の開催場所に選ばれ、太田さんは特に平成22年に開催された全日本グラススキー大会、高円宮碑グラススキージャパンオープンが強く記憶に残っているそうです。「白布温泉の皆さんと協力し誘致できた思い出深い大会です。レセプションでは地元小学生が歓迎の歌を歌ってくれるなど、地域全体が盛り上がりました」。そして再び動きだした西吾妻山、天元台高原、白布温泉が一緒に取り組む「リボーンプロジェクト」。「ワークショップでこの先のことを皆で考え、ロードマップを作って。新しいことを成し遂げる仲間がいて、この先もずっと人々と交流を続けていけたらと思うと、わくわくしますね」。

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訪れるほどに特別な白布温泉、天元台高原

 天元台高原を登っていると、ふと空気の温度や肌に触れる質感が変化する場所に出合うとか。「きっと気圧の変わり目だと思うのですが。気が良い方向に変わる場所のようにも感じられ、ちょっと特別なんです」。登った人にしか分からないその感覚をぜひ知ってほしいそうです」。

また、ラーメン王国山形には様々な人気ラーメンがあり、中でも太田さんはチャーシュー麺が好きとのこと。「どの店でもほぼそれしか頼みません。でも白布温泉内にある吾妻軒だけは、ラーメン大盛りを注文。するとチャーシュー多めで大満足のラーメンが出てくるんです。これは秘密ですよ」。また、米沢牛の焼肉が食べられる民宿白布屋や、希少な日本酒も扱う米沢・白布かもしかやもお気に入りのお店。「白布には、上杉景勝が鉄砲師を招き、火縄銃を製造させていた歴史があります。非常に辛い仕事と言われていますが、職人が逃げずに居続けられたのは、温泉や地域の魅力があったからだと思うんです。現代も、もっとお客様に注目してもらえる場所になりたいですね」。

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行楽・観光地とて、

職場として。

さらなる魅力づくりを

 雨の日。お客様がいない夏の天元台高原には、ゲレンデで下刈りをするスタッフの姿がありました。「昔は下刈りしなくてもゲレンデにたくさんの雪が積もって沈むので問題ありませんでした。しかし積雪の少ない近年は、地面と雪との間に空間があると、なかなか滑走できないばかりか、早く雪が解けてしまうのです」。YouTubeで下刈りや刈刃の研ぎ方を勉強。技術を磨きゲレンデの整備に力をいれています。「市内から春に見えていた白馬の騎士も、木々が伸びて頭が茶色になってきていました。シンボルでもありますから、きれいにしていきたいです」。  

 今太田さんには不安と期待を抱えていました。それは冬の天元台に雪が積もること、そして若い社員が入社してくれること。「現在社員を募集しているのですが、なかなかかないません。土日が仕事だからでしょうか」。運営するうえで重要な機械技術は身に付けることが難しく、長年の引継ぎが必要です。職場として注目してもらうためにも、観光地としてさらなる魅力を上げていかなければいけないと考えているそうです。「天元台高原にはこれまで、地域の方からサークル活動を行う方、行楽や行事で訪れてくださる方、社員や他企業の方、たくさんの人々が携わってくださり、本当に感謝しています。この先もずっと訪れていただき、白布天元台の魅力を一緒に探し楽しんでほしいです」。

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宮本 靖
Yasushi Miyamoto
そば処 吾妻軒

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奥様恵美さんとツーショット

とても仲良しなご夫婦です。

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山形県米沢市出身。高校卒業後、宮城調理師専門学校に進学。洋食喫茶店でアルバイトも。23歳での帰郷時はロン毛と髭という、元Jリーガーラモス瑠偉のような風貌で、周囲を驚かせた。吾妻軒3代目として調理する傍ら、天元台×白布リボーン協議会の観光用電動アシスト付きマウンテンバイク(eMTB)運用に期待している。

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「白布唯一の食堂だから。人々の拠点になれたらいいですね」

白布唯一の食堂だから。人々の拠点になれたらいいですね

おいしいものを届けるために、一つひとつ丁寧に。これは昭和30年創業の吾妻軒、3代目 宮本靖さんのこだわりです。吾妻軒では西吾妻山の麓から湧き出る豊富な伏流水を用いて作った自家製の蕎麦とラーメン、スープやそばつゆが自慢です。春には地元山菜が乗った「山菜ざる」「山菜ラーメン」が、夏にはニシンと素揚げした地元の夏野菜が美味しい「夏そば」、秋には早稲沢の高原大根の千切りをたっぷり使用した「白猿そば」、冬には土鍋で食べる熱々の「白布ラーメン」が人気です。『今年も食べたい』と喜んでいただけると嬉しいですね。

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静けさが心地よい白布の四季と光 

 お店のメニューで白布の自然と郷土を表現する宮本さん。日々白布で暮らす中で、雄大な自然の静けさが何より心地良いとお気に入りです。「朝、窓いっぱいに差し込む光も、夕暮れに真っ赤にそまる空も。時間によって異なる光が、白布の魅力を引き立てているように思えます。真っ白な雪の季節もいいですね。ぜひ皆さんにも白布の静けさを体感し、癒されてほしいです」。また吾妻軒は、白布温泉街唯一の食堂。地元の方からお仕事で移動中の人、観光客など様々な方が訪れるそうです。「吾妻軒ではお昼をメインに皆さんに提供しているのですが、ふと立ち寄り休めるスポットが白布にはありません。現在コーヒーの提供をしているものの、知らない方も多いはず。コロナ禍が収まったらティータイムを設け、何か甘いモノをメニューに加え、皆さんに生活や仕事、観光の拠点にしてもらえるようなお店作りをしてみたいです」。息子さんも大きくなり、いつか後を継いで一緒に働けたらといいな、と夢を語っていただきました。

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電動アシスト付きマウンテンバイクの登場

 「運動して体を動かしたいな」と宮本さん。子育てもひと段落し、時間ができたことを友人に告げると、一緒にゴルフをすることに。「20数年ぶり。道具はこれからですが、わくわくしています」。また、もう一つの楽しみが白布の観光を盛り上げる「eMTB(電動アシスト付きマウンテンバイク)」の運用。これまで乗った経験がなく「とんでもないものがやってきた」と驚いたそう。「白布の坂道をマウンテンバイクで駆け上がる本格的な方はいます。でも50半ばの自分はどうだろう?と。しかし実際に乗ってびっくり。試験的に天元台まで登ってみると、運動不足の自分ですらスムーズに頂上へ。ロープウエイとは異なる景色と、体で感じる風が感動的でした」。天元台では7月から、白布温泉内では8月からの運用を目標に、安全性を確保した上でレンタルの運用企画を進めているそうです(詳しくはホームページをご覧ください)。地元の方も初めて見る、eMTBとの白布の風景。さらなる魅力が発見できそうです。

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愛犬のミコちゃんと一緒に。毎日のお散歩は宍戸さん担当。雪が大好きで、冬になると真っ白な雪の上を駆け回る。

山形県米沢市出身。高校卒業後大学に進学、ホテル専門学校を経て24歳で帰郷。開湯1312年の白布温泉東屋39代目。車(特にバス)の運転や愛犬との散歩が最近の楽しみ。天元台×白布リボーン協議会では源泉水源の改修計画を担当、現地調査を行い今後の進め方を検討している。

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宍戸 紘次郎
Koujirou Shishido
白布温泉 東屋

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天元台・白布エリアがいつも笑顔に溢れ、活気に満ちた場所に

暮らす人、訪れる人を魅了する白布の四季の移ろい。

 「白布の四季が好き。春、新緑と一言で言っても、淡い緑から濃い緑へ刻々と変化していく様子はとても豊かです。言葉だけでは伝えきれない、いくつもの感動があります」。白布温泉 東屋 宍戸紘次郎さんが教えてくれました。進学のため米沢を離れ、帰郷し19年。今年は学生以来なかなか楽しめていなかったスキーに挑戦したいと考えているそうです。「天元台高原はすぐそこ。子どもの頃から冬になると時間があればとにかくスキーに出かけていました。天気がいいとワクワクして。2時間程度滑ったら帰り道は、遊歩道や、今は閉鎖されているインターハイコースを滑って、当館の駐車場に。本当に気持ちが良かった」。パウダースノーで人気の天元台高原。同じく気温の低い白布地域でも天候条件が揃うと、ダイヤモンドダストや大きな雪の結晶が見られるそうです。「昔はそれが当たり前だと思っていましたが、妻が驚き写真を撮る姿や、愛犬が喜びはしゃぐ様子を見て、特別な冬を知りもっと好きになりました。今度は娘にもスキーを教えてあげたいです」。

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地域に根付く、湯治と自然や生き物との共存

 白布温泉は古くから湯治場として多くの人が訪れており、東屋の浴場からつながる苔むした石段の先にある「薬師如来尊堂」がその歴史を見守っています。宍戸さんは開湯から先祖達が守り継いできた歴史の重みを感じながら日々手を合わせ、身の引きしまる思いがするそうです。

「お客様には癒しのひと時を提供したい。常連の方には帰ってきたかのような、あたたかさを。初めての方にも親しみを感じていただける対応を。誰もが笑顔になれる〝ありがとう″という気持ち、言葉は欠かせませんね」。

 また宍戸さんは自然や生き物との共存も大切に考えています。白布地域には猿、リス、イタチ、狸、カモシカなどたくさんの動物が。雪が降ればかわいい足跡から、訪れた形跡を知ることも。「天気の良い日に道路脇で毛づくろいし合う猿や、雪の朝にはカモシカや兎の足跡なども見られます。群れで見かける猿も、こちらが何もしなければ襲ってくることはないのです。それぞれの生き物との距離感と自らの行動をわきまえ、ずっと一緒に生きていきたいと願っています」。道路脇で毛づくろいする猿や、電線を器用に渡る猿など、訪れる毎に身近に感じる動物達の営みは、白布の魅力のひとつです。

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しっかり者の奥様 若女将の瑞穂さんとってもお似合いのご夫婦です!

「温泉」と「水」を守り、届ける使命

 宍戸さんの白布自慢は豊富な湯量。「海抜900mの高地から毎分1500ℓもの温泉が、天然自噴しているんです。温泉はもちろん、当館の名物である打たせ湯からは、その魅力を体感することができますよ」。溢れたお湯は、冬期の除雪にも利用されていました。「開湯700年以上、これまで様々な震災があっても変わらずお湯が湧き出していました。私たちは温泉の恵に生かされています。」。天元台×白布リボーン協議会では「源泉水源の改修計画」を担当する宍戸さん。30年前に整備され、今も白布温泉郷の源、防火水となっている源泉水源は、老朽化が進み改修が望まれています。しかし山の奥地にあり、重機を入れることもできない危険箇所。現地調査を行い今後どう進めていくか、頭を悩ませているそうです。「温泉と水は私たちにとって命。これからもお客様に気持ちよく入浴いただけるよう、守り届けていきます」。

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遠藤 秀平
Syuuhei Endou

中屋別館 不動閣

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奥様美幸さんweb編集担当!

​仲良し夫婦で頑張ります!

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山形県米沢市出身。高校卒業後大学に進学し、就職。退社後県外の旅館で修行し、30歳で帰郷。創業1312年の中屋 28代目。白布リボーン協議会では事務局長を務めながら、湯車プロジェクトの設置運営も担当。地域の前世代と後世代が名を成すような「頼れる中継ぎ」になりたいと努
力している。

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700年も前から、絶えず湧出する温泉。そのスケール感

壊れる車ほどカワイイ?イタフラ車の粋に惹かれ

 愛車のシトロエンが遂に致命的な故障となり、新たなシトロエンに乗り換えたばかりという遠藤秀平さん。イタフラ車のかっこよさに惹かれ、これまでに乗った車もそれぞれの癖を楽しみ、修理をしながら愛着を持って乗りこなしてきました。「車の歴史を遡れば日本はまだ百数十年。世界、フランスでは200年以上前に自動車が生まれて。そう考えると、自動車はヨーロッパがルーツの文化なのかなと思うのです」。そもそも物心つく頃には、車に夢中になっていたという遠藤さん。旅館に訪れる車に憧れ眺めるうち、小学生でリア部分を見るだけで車種が分かるようになっていたそうです。「雑誌やカタログを眺めたり、本で歴史を調べたり。興味深いことばかりですよね。日々いろんな車に出会え、旅館の息子に生まれて良かったなって思っていました」。今ではお客様とのコミュニケーションの一つに。車好きのツボを抑えながら、おしゃべりに花を咲かせています。

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誰かの想いを深め繋げる、種まき

 中屋別館 不動閣のお庭にある池を覗いてみると、中には鯉ではない魚が悠々と泳いでいます。立札にはニジマスとイワナの表記が。「なぜここに川魚?」疑問を抱きつつ、どれがニジマスで、どれがイワナなのかついつい見入ってしまいました。「旅館に来ると時間の余裕ができますよね。そこでお客様が何か〝考え″〝深入り″できるような要素を少しずつ用意しているんです。それが当館に興味を持つきっかけにもなってもらえたらうれしいですね」と遠藤さん。売店には米沢の特産やお土産品、お酒のほか、旅館のイメージにあったレトロなデザインのオシャレな雑貨が並んでいました。「お客様はのんびり眺めて行かれます。決してここで買っていただかなくていいんです。懐かしく思って楽しんでもらえたら」。また、お風呂へと続く廊下には、昔使用されていた初期型のスキーの展示も。「当館には山登りやスノーレジャーを目的に訪れるお客様が多くいらっしゃいます。白布エリアの楽しみをもっとお伝えできたらといろいろ検討しているんです」。長く人々に親しまれている、白布・天元台、そして温泉に宿、そんな想いにそっと触れているような居心地の良さがありました。

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悠久の時を白布で体感

 700年以上前から脈々と湧出し続けている、白布温泉の源泉。自然が持つスケールの大きさに身を置くことができるのも、魅力の一つだと遠藤さんは言います。「例えば私たちは100年生きるとして。白布温泉はすでに700年も湧き続けている。800年、いや1000年、まだまだ湧き続けるかもしれません。100年のうちの1秒と、1000年のうちの1秒では、時間の概念が違うように思えます。ここに訪れ体感できる悠久感こそが、ここにしかない“白布じかん”なのかた、と」。

令和3年12月、中屋本館跡地に直径5mの湯車が登場します。「長らく白布温泉は、東屋、中屋、西屋3軒の茅葺屋根が並んだ様子が特徴的で、人々のイメージとなっていました。平成12年、中屋本館から出火し東屋と中屋は消失。あの日以来感傷的な気持ちは変わりません。しかしその事実も含め、白布の歴史を感じてもらえるよう、中屋本館跡地に湯車を設置します」。跡地には300年以上前に積まれたであろう基礎の石垣も残されていました。大きな湯車を回すのは、豊富な温泉。真っ白な湯煙を漂わせ、訪れる人々の憩いの場所となっていくことでしょう。

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山形県米沢市出身。高校卒業後、吾妻観光開発㈱入社(㈱天元台の前会社)、ホテル・ロッジ・フロント係・山案内を務める。その後(有)鈴木デザイン、東京第一ホテル米沢に勤務し、2008年再び㈱天元台に入社。2017年より代表取締役社長となる。天元台×白布リボーン協議会では、副会長として持続可能な環境づくりを目指し活動をしている。

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山田 長一
Choichi Yamada
株式会社天元台

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変わらない温かな繋がり

日々向き合い実感 天元台高原・白布温泉の魅力、人々の温かさ
 昭和38年硫黄鉱山の跡地から誕生した「天元台高原スキー場」。整備された環境と優れた雪質から、国際規模のスキー大会が開催されたり、スキー授業や林間学校の拠点になるなど、全国各地からたくさんの人が訪れています。昭和48年に入社した山田長一さん。山案内をされていた鈴木亮先生の補助として西吾妻山を巡ることになり、登山客と一緒に先生の話に耳を傾けながら高山植物や樹木について学び、次第に興味を深めていったそうです。また車には釣り竿を常備。仕事帰りは渓流でイワナを釣りながら下山するほど夢中になっていたとか。冬になれば今は使用されていない新高湯コースを滑走。新高湯温泉に癒されてから仕事に戻るという至福の時を堪能されていました。
 その後広報の仕事に携わったことがきっかけで、自らも手掛けてみたいとデザイン会社に転職。さらに天元台スキー場で培ったノウハウを活かしたいとホテルに転職。20年を経て再び天元台高原を盛り上げたいと決意し、戻ってきました。「退社の時、地域でお世話になった方々にご挨拶に伺いました。すると皆さん『次も頑張りなよ』と優しく送り出してくれ。戻ってきた際には『よく帰ってきたね』と応援してくれ。白布温泉や天元台高原に関わる人々の温かさを実感しました」。

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ここにある天元台高原を「人々」に「未来」に伝えたい

 経済の変動や進化するレジャー産業の影響からか、年々減少し続けるスキー人口。天元台高原スキー場への来客数への不安が叫ばれる最中、山田さんは戻ってきました。「置かれている状況は変わっていましたが、岩や植物はほとんど当時のままでした。トレッキングがブームになっていましたから、冬以外のシーズンへの期待が膨らみましたね」。
 お気に入りの場所はつがもりリフトを下りて、ゆっくり歩き約1時間半。梵天岩の手前から見下ろす湿原。「水沼が点在する『いろは沼』に、かわいらしい花々。冬には樹氷となる原生林 アオモリトドマツが広がっていて。ここじゃないと見られない風景、ここでしか体感できない自然があります。マイナスイオンの静寂な香りを思いきり吸い込みながら、いつも『もっと伝えたい』という気持ちが高まります」。

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ここでしか見られない風景
​ここだから体感できる自然

人と自然が共生する場所をもっと楽しく、豊かに

 スキー場ができて間もなく60年、そして天元台高原スキー場として新しい組織になり20年。「この先もずっとたくさんの方に訪れていただけるよう発信し続けたい」と山田さん。これまで夕日を眺めるロープウエイ、サンセットクルージングを企画したり、星空を撮影するワークショップなど、スタッフと一緒に何かできないかと、ポジティブな思考で通常とは異なる催しものを展開してきました。今年の冬は圧雪車で雪山を巡るツアーや、3km続く湯の平コースにバンク(障害物)を造るなどし、お客様を楽しませてくれています。また、防風設備の整ったロープウエイやキャビンの設置など荒天対策への可能性も模索し続けているそうです。「夢物語と言われるかもしれません。しかし、西吾妻山に天元台高原、そして白布温泉、それぞれの魅力を活かしながら共生していきたいのです。口うるさいと嫌がられてもいい、私は㈱天元台を一丁前の会社にできるよう努力していきます」。様々な角度から天元台高原を楽しむ催し物に、今後も注目です。

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たのもしい「キャビン付き圧雪車」と。
米沢市内が見渡せる展望台や雄大な雪世界を巡る乗車体験も人気。

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太田 雅啓
Ota Masahir

有限会社 太田酒店

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笑顔が素敵な奥様!お酒に詳しく自分にあったお酒が見つかるはずです!

白布温泉生まれ。白布温泉唯一のお土産店「かもしかや」3代目。初代が山形市に家を構える大工で、白布地域は昔通学が難しかったことから、山形市内の学校に通い育った。稼業に携わり43年。山形の地酒の魅力を発信し続けている。心が落ち着くのは奥様久美子さんとの時間。

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人との出会いから得たたくさんの学びと気づき

 山形の美味しい地酒が手に入ると人気の「かもしかや」太田酒店。しかし常連さんたちは、実は店主の太田雅啓さんが珈琲好きであると知っているようです。「好みのお酒を飲み続けると、その味に引っぱられてしまう。日本酒の香りを幅広く感じるために、お酒はたしなむ程度。珈琲も面白いですよね」。

 もともと太田さんの祖父は山形市の大工で、白布温泉に住み込みで部屋の改修や内装の細工をしていたそうです。それがきっかけとなり、大正5年頃、中屋旅館本館入り口付近に場所を借り、木製品やお酒を販売し始めます。その後2代目のお父様が現在の場所に移転。民宿を営んだり、国立公園の管理人やスキー場のパトロール隊長としても活躍されましたが、急逝。関小学校白布高湯分校の教員をしていたお母様が店を守り、その後太田さんが3代目として跡を継ぐ決意をしました。「私は22歳、世の中は地酒ブームの前でした。県が山形のお酒を全国にと力を入れ始めた頃で、県内の酒蔵の息子たちが『オンリーワンの山形の酒を』と一生懸命学んでいるところに混ぜてもらったんです。知識的なことはもちろん、人との出会いからたくさんの刺激を受け、地元山形の酒造りの環境や、つくり手の想いを届けたいと考えるようになりました」。そして蔵元を巡りながら手書きの「かもしかだより」を発行。ワープロからパソコン、そしてインターネットへ。編集・発信方法を進化させながら、山形の地酒の魅力を伝え続けています。

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お店に訪れるお客様や蔵元と語り合う囲炉裏端。
それぞれの想いを丁寧に繋いでいる。

人と想いを繋いで

 「日本酒の魅力は『人』にあると感じています。つくり手の努力や人柄がお酒に表れるんです」。かもしかやには、特約店だけが扱うことのできる、限定流通商品が多く並んでいます。「私は繋ぐ役」と太田さん。「農家の人がお米を育て、杜氏が不眠不休で仕込んで。命を吹き込み造られたお酒を中途半端な気持ちで販売できません」。品質劣化を防ぐため、基本的に0度で管理。作り手の想いをお客様に届け、お客様の反応も蔵元にフィードバック、長年の信頼関係から託されたお酒たちでした。

白布温泉という立地から、お客様のほとんどが県外の方とのこと。何度も通ってくださったり、親子3代で訪れてくれたり、旅行後にインターネットから注文があったりと、長年お付き合いのあるお客様がたくさんいらっしゃるそうです。「これは白布温泉あってこそのこと。ここで出会って、繋がって。きっとお客様は旅行の思い出と共に味わってくれているはず。モノを売っているようで、それはモノではないのです」。

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この地での出会いに感謝 受け継がれた地力に感謝

「幸せってどんな時に感じますか?」太田さんは、昔お客様にお風呂に入る時が一番の幸せだと言われたことを教えてくれました。「湯船に浸かった瞬間、確かに体の底から『は~』って吐息がこぼれるんです。白布温泉を訪れ、お散歩して、おしゃべりして、おいしい物を食べて、温泉に入ると力が湧いてくるっておっしゃって。これはお酒と一緒、ここだからこその『地力』なんです」。ほんわか居心地の良い素朴な環境、温かい人柄、温泉を守り繋いでくれた先人たちに、日々感謝しているそうです。「700年山の中で続いているのも『地力』あってこそのこと。私たちは生かされているんだなと感じます」。夢は白布温泉が人々の「心の桃源郷」になること。「天元台×白布リボーン協議会が立ち上がりました。リボーンとは生まれ変わるという意味ですが、人々が求める白布の原点を忘れず、この地を愛し、ありのままの白布を誇りに思って、心の安らぎを届けていけたらいいですね」。

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